やっぱりまだ口(?)下手なので、最初から本題に飛びます(苦笑)



「大人になってからでも遅くない」
この言葉はあまりいけ好かない。

そりゃぁ、僕は何十年も生きてはいない。そんな僕がこんなことを言っても笑われるだろう。
だけど、色んな大人を見てきた。
やりたいことをやって心に赤をもっている大人。顔に苦しみを浮かべて灰色をかかえて生きている大人。
話を聞く限り、彼ら・彼女らの人生は学生時代でほぼ決まっている。
目標があったか、やる気があったか、楽しんでいたか。
赤を持っている人は全てに色がある。

あの言葉は、僕ら学生たちに対しての「逃げ」勧告ではないか?
遅くない、遅くない。といつも勉強と部活ばかり。
社会にでたとき、自分のパレットにはその2色しかない。
そして、社会の色にすぐに塗りつぶされてパレットが自分のパレットじゃなくなってしまう。

社会に耐えるには、いろんな色が必要なんだと思う。
努力の赤や友情の黄色、橙。堕落の青に失意の茶。
社会の中で、自分の色を濃く残すため、学生時代にいろんな経験をする必要があるんじゃないか?

僕は少しだけ気付くのが遅かったみたいだ。
もうすぐ社会人。足りない色をそろえる余裕もないようだ。
だけど、気付いただけでもよしとしよう。
この日記を書くことで僕は自分の色の乏しさに気付いた。

こんなことを言うのは本当にうざいんだけれど
いいことでも悪いことでもいい。
少年少女よ。なんでもやってください。
それが自分の色になるから。























だれも見てないか(´・ω・`)

「色」とか言ってかなり分かりづらかったかも…。

でも人とか音楽とか、見るたび聞くたび「色」のイメージが出て来ない?
そういうことを言ってみた。







…ぇ?
そんなの出てこない?

















(ノω`*)ノあやー

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